百人一首について学校の授業などで耳にしたことはあっても、その奥深い歴史には触れたことがない人も多いのではないだろうか。今回は百人一首の歴史について、本学文学部日本文学科の吉田幹生教授に話を伺った。
百人一首成立のきっかけは、藤原定家が蓮生法師から嵯峨にある山荘の障子に貼る色紙に書くための和歌の選定を依頼されたことだ。純粋に和歌の歴史がたどりやすい構成配列になっている百人一首。詳しい成立時期は不明だが、ポイントは後鳥羽院と順徳院の和歌が追加されていることだという。承久の乱の記憶が薄れて彼らの復権が果たされた後に、こうした形で秀歌撰を必要とした人がいたと考えられる。15世紀には注釈書が書かれるようになり、歌人たちに歌道の入門書として受け入れられるようになった。
17世紀には、印刷技術の発展により古典文学作品も出版されるようになり、百人一首も大衆に広く知られるようになっていった。当初、ポルトガルから伝わったカルタを改良したかるた遊びは、上の句を聞いて下の句の札を取る形式だった。そのため、和歌を暗記していなければ札を取ることができなかったが、19世紀には一首全てを読札に記す現在の形が登場し、和歌を覚えていなくても楽しめるようになった。

歴史ある百人一首の中で、吉田教授は八一番歌「ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる」が好きだと話す。平安時代の人々は、ほととぎすの鳴き声を聞くために徹夜することもあった。その鳴き声を聞き反射的に外に目を向けるが、そこにはほととぎすの姿はなく、ただ明け方の月があるだけという意味だ。吉田教授はこの歌の魅力として、一種の虚無感と、自然は人間のために存在しているのではないことを痛感すると語った。
百人一首を通じて、我々の時代とは背景も人生観も異なる人々の世界観に触れることにどのような意義があるのか。吉田教授は「言葉の可能性を知ること」だと話す。三十一字という限られた字数の中で、自分の思いを伝えるために、歌人たちが工夫を凝らして表現している。彼らが言葉をどう操作したのか、自分ならそれをどう表現するのか。このような視点から捉えることで表現の幅が広がり、感性が刺激される。吉田教授は古典について「この国の伝統的な価値観や美意識を知るための最適な素材だ」と語った。
約800年の歴史がある百人一首は、時代ごとにさまざまな楽しみ方をされてきた。現代ではSNSや創作文化の発達に伴い、百人一首の入り口は多様化している。吉田教授は「その時々の新しい感性が百人一首と響き合っていけばいい」と話す。奥深い歴史を持ち、当時の価値観を知る手がかりでもある百人一首。ぜひ、自分が好きな方法で楽しんでみてほしい。
(宮部惺至)



コメント