武蔵野市平和の日から考える日常

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戦時下の武蔵野市は、中島飛行機武蔵製作所を標的とした空襲により甚大な被害を受けた。この戦災から武蔵野市は平和都市として活動している。市での次世代に向けた戦災の記憶継承について武蔵野市役所市民活動推進課の丹羽遼太郎さんにインタビューした。

中島飛行機武蔵製作所は軍用飛行機のエンジンを製作していたことから空襲の標的となった。昼夜問わず工場を狙った爆弾は、周辺地域に落下し一般市民にも多くの犠牲者を出した。空襲に遭われた方の中には、時計の音や消防車のサイレンを聞くと空襲警報のサイレンを思い出してしまう方や、今でも空襲から逃げる夢を見る方もいる。武蔵野市に生きる人々の生活は空襲によって一変してしまった。

戦災の経験から平和都市としての一面を持つ武蔵野市は、さまざまな平和施策を行っている。その1つが、「武蔵野市平和の日」の制定だ。初めて空襲の被害に遭った11月24日を武蔵野市平和の日と定め、市民協働でイベントを行っている。内容は多岐にわたるが、特筆すべきは戦争を経験した方の証言をまとめた戦争体験記録集の作成だ。普段聞くことができない空襲の被害や戦争当時の生活の変化を知ることができる。しかし、まだ平和の日の認知度は低く、イベント参加者の年齢層も高い。そのため今後は平和施策への認知度向上、若い世代の平和の日イベントへの参加率向上が課題だと丹羽さんは語る。

現在、戦争を経験していない世代の中には、第二次世界大戦を教科書の出来事と捉えている人もいるかもしれない。しかし、今年10月には宮崎空港で不発弾が爆発したことが報じられるなど、戦争は過去の出来事ではなく、当時の爪痕は今もなお残っている。今年も11月24日には武蔵野市平和の日イベントが開催される。貴重な日常が突然失われてしまう恐ろしさを再認識するきっかけとして、平和の日イベントに参加してみてほしい。

(加賀谷綾音)

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